ママサロン

親の会勉強会資料

エリクソンのライフサイクルモデル

人間が生まれた直後から死の直前まで、健康に幸福にいきていくことの、一つのモデルです。

沢山の事例を吟味してライフサイクルモデルを描き出しました。

健康で幸福に生きている人、心を病んでいる人の両者を比較検討して、人間はどのような道筋をたどると健康で幸福な人生を送れるのかを探り書き上げたものです。

人生を8期に分けてそれぞれにテーマを設定しました。日本では、エリクソンが示した、人間の各年代の重要な課題のことを「発達課題」と表現する人がいます。その発達課題を達成しながら次の段階に行かないと、健全に発達していけないという意味合いで、教育関係者などに使われている言葉です。各年代にはテーマがあり、乗り越えなければならない主題があるのです。乗り越えなかった場合いずれ本当の危機が訪れる。そのような主題が人生の様々な時期に、重要なテーマとして現れるのです。

幸せに生きるための道しるべ、道すじのようなものを示したわけですが、100%理想的に、エリクソンが描いたモデル通りに人生を歩める人はいません。誰もがいろんな程度につまずきをもっています。そのつまずきが、ライフサイクルを学ぶことによって見えてくる。その背景に、人生のどの時期のつまずきがあるのか。それが見えてきて、どう修正し、解決していけばいいかがわかってきます。

テーマには順番があり、とばすことは出来ない。

エリクソンは、人間の発達や成熟には一定のステップ・アンド・ステップがあると言っています。そして、そこに飛び級はないと言います。ただし、みせかけの前進はあるとも説いています。

順番を飛ばした発達は「見せかけの前進」となります。

幼い子を育てるとき、スパルタ教育と言われるような発想で、厳しい訓練をすれば、子どもは一見、いい子のようにふるまいます。(横峯式や森友学園の子どもたちは本当にお行儀がよく、何でもよくできるように見え、周囲の大人から褒められていますね・・・)

しかし、それは、本当の発達ではありません。いい子になり、年齢相応にものごとをするように見えるかもしれませんが、それは見せかけの前進です。親への恐れをもって、従っているだけなのです。

見せかけの前進は必ずいつか、逆戻りします。本当の発達や成熟とは違うのです。思春期をむかえ、問題を起こした子どもたちの現在の生活に、問題の原因があるとは限りません。もっと前に原因があって、問題が今出ているという場合がほとんどです。見せかけの前進が崩れて、問題が発覚したということです。

 

0~2歳 「基本的信頼」を抱くこと

乳児期に人を信じ、自分を信じる力を身に着けるのです。

エリクソンは、相手を信じることと自分を信じることは表裏一体だと言いました。

人を信じることはあまりできないけれど、自信はあるという人間は、いないというわけです。

自信というのは、おごりや傲慢さという意味ではなく、静かに、ひそかに、自分の存在を誇りに思うことが出来る気持ちのことです。

これは、母親に愛されることで生まれます。子どもの望みに応えることで、信頼が生まれます。母親への信頼感、愛着。それは、お母さんが子どもの望みをかなえてあげることによって作られていきます。こどもは、お母さんがいつもそばにいて、自分のことを気にかけてくれていると感じると、お母さんのことが信じられるようになってきます。

親が、自分の望んでいるような子になってほしいと思いながら、子どもを育てていることがありますね、その度合いが強すぎると、無条件の愛情ではなく、条件付きの愛情になってしまう。一方では幼い時から親の顔色を見てものをいう子においては信頼感の欠如を感じます。

何千回でも応えてもらえるくらいの信頼感です。理想を言えば、すべての望みに応えてあげるのが一番です。その子が「もういい」というまで応えてあげるのです。

以前もお話ししましたが・・虐待を受けた子どもの治療研究をしているブルース・ペリーという医者は「赤ちゃんの時に、泣いて訴えることに何千回も応えてもらうこと」によって、心の中に、将来、人間関係に喜びを感じることのできる健全な能力が育ってくることを言っており、マーガレット・マーラーは、長い歳月をかけて母子を観察し、子どもが生後3年間で「心理的な誕生」をとげることをみいだしたのです。マーラーによると、子どもは生後6か月ごろ初めて、母親と自分が別々の生き物だと認識し、その後、母親への安心感を抱きながら「浮気」「最接近期」をへて、子どもの心は発達すると言っています。

そして「ソーシャル・リファレンシング」で有名なロバート・エムディは、非行や犯罪を犯した少年少女に共通点を確認し、生後6か月から1歳半までの間に、ハイハイやよちよち歩きをしている子どもが「おやっ」と思うことがあると振り返って母親を見る。大きな物音、見知らぬものが現れるなど、子どもは音や、物に対して、「今のは怖い音?」「誰の声?」「これなあに?」とお母さんに教えてもらおうとするかのように振り返る。そこでお母さんが「大丈夫よ」「怖くないよ」「触ってごらん」と子どもが振り返った時いつも母親と目が合い見守ってくれていることを確認することで、人間は大人になるにつれ、社会のルール、規範、規律、約束事、そういうものに敏感に反応しながら行動できるソーシャル・リファレンシング(社会的参照)が育ち、社会性の基盤を作っていくのです。

 

つまり人生で大切なことのほとんどはこの2年間に育つのです。よく「3つ子の魂100まで」という3歳児神話がありますが、重要なのは1歳、2歳です。近年の実証的研究が、そのことを明らかにしています。

2~4歳のテーマは「自律性」を身に着けること

これは自分で自分の衝動をコントロールする力のことです。これは、何かを我慢するという単純なものではありません。忍耐力のことではなく、衝動を律するということです。

そしてこれは乳児期のテーマである基本的信頼を獲得していなければ生まれない。ここに発達の順序があるのです。

自律性のある子は、外ではいい子、家では駄々っ子。つまり年齢相応にルールが守れて、集団生活ができる子です。親を信じて本音が言える子のことです。

教えたこと、躾をしたことを、こどもがいつ実践するか、自分で決めさせてあげ、その時期決定を子ども自身にゆだねる。子どもに決めさせてあげるから、自律性が育つ。

つまり大人がゆっくりと待ってあげることで子どもの自律性が育つのですね。

「はやく」「がんばれ」を言う大人は自律性を育てるのが下手ですね、むしろそういわれなかった子のほうが、頑張る子になりますよ。

ここで自律性を持てなかったこどもが、いじめをする。

衝動を抑えることは、学校に入る前に身につけることなんです。幼児期前半のテーマですね。

日本各地の小・中学生を対象に、いじめの調査をされた森田洋司先生が、いじめをする子と加担する子、そして、いじめをやめさせようとする子の決定的な違いは親との関係がよいかどうかだと説明しています。いじめをする子、加担する子は親との関係が悪く、いじめをやめさせようとする子は親との関係がよいのです。

 

わが子をいじめっ子にしないためには、親子で喜びを分かち合い、悲しみを分かち合い、本当の意味でのコミュニケーションをすることであり、もし、わが子がいじめられていたら、親がまずやることは、いじめがおこなわれているようなひどい教室に行く必要は全くないということです。そこに豊かな人間関係なんてありませんからね。とにかくわが子を守ることです。

 

4~7歳のテーマは「自主性」を育む事

幼稚園から入学してすぐの頃あたりでしょうか・・

よく遊ぶことで身に着くもので「積極性」「主体性」「目的性」という側面もあります。

自主性と好奇心をもって自分から進んで活動することです。心の発達、社会性の発達を考えるときには、遊びを下らないことだなんて言ったらとんでもないことになりますよ。

遊びの中で独立心や限界を知り、自分の力を確かめる。目標を持って努力する。そういう活動が出来るようになるのです。

やりたいことが見つからない。ニートや引きこもりと呼ばれる人たちが、このころに十分に思う存分遊べなかった子どもなのです。「自分でやりたいことを見つけて働きなさい」と、言うのは簡単です。でも、そうはなれないんですね。それまでのステップをきちんと踏んでいなければ、そうはなれないんです。本人は苦しんでいます。自主性を身につけることのできなかった子どもに、「大人になったんだから働きなさい」と簡単にやらせようとしても無理ですよ。出来ないわけでも駄目だというわけでもないんです。でも、簡単にはいかない。

乳児期、幼児期、児童期の主題を乗り越えないまま学校に行くようになってから、つまずきを回復するのは本当に大変なんです。

 

7~12歳のテーマは「勤勉性」

小学生の間の話です。

小学生の時の過ごし方が、大人になった時、社会的に勤勉に生きていくことが出来るかどうかの重要なポイントになります。つまり、よく遊んだ子は、将来よく働くようになるということです。

エリクソンは、友達に何を教え、友達から何を学ぶかということは、質より量に意味がある。

と言いました。どんなに立派なことを習ったか、教えたかではなく、たくさんの友達から、たくさんのことを学びあうほど勤勉性の基盤が育ちやすい。自分と違うタイプの友達が数多くいたほうが小学生時代を健康に生きられる。教科学習はいつから初めても遅いということはありません。むしろ早すぎるくらいです。学童期には、勉強よりも、友達との人間関係の中で豊かに育つものがある。そしてそれが不可欠と言っていいほど大切なのです。

ただし、例外が一つあります

自閉症の子、発達障害の子には違う考え方をする

「沢山の友達とたくさんのことを教えあう。」それが学童期の基本です。しかし、一つ例外的なのが自閉症の子の話です。

自閉症の子は、鬼ごっこやかくれんぼが出来ません。追いかける鬼と追いかけられる人の役割が次々に入れ替わるような遊びは、自閉症の子にとっては難しいのです。先天的な特徴があって、この子たちには社会の常識やルールが見えにくいのです。

沢山の友達と遊ぶことよりも、理解のある少人数の友達の中で、自分のペースで活動したほうが、この子たちは社会的に適応します。ですから、自閉症や、発達障害と呼ばれる特性をもつ子どもたちには、質より量の友達付き合い、遊びあいが必ずしもいいとは限りません。

アメリカ・ノースカロライナ大学の自閉症療育専門家、ゲーリー・メジボフ教授は「自閉症の人は自閉症の文化を持っている。私たちとは違う文化を持っている。違うからと言って、差別や排除をしてはいけない。文化の違いを認識しなければ、この人たちを適切に療育も教育も、支援も出来ない」といっておられます。

一般の文化での生活をしいたら、この人たちは2次障害を起こします。私たちが文化の違いを理解すること、そして、私たちの文化にどのように合流してもらうかを考えることが欠かせません。幼児期にも、もっと大きくなってからも、自閉症の子が鬼ごっこやかくれんぼを楽しむことは、まずありません。無理にさせたって、何も面白くないんです。この人たちにとっては苦痛なだけです。自閉症の子や発達障害の子には違う対応をしてください。

 

13~22歳のテーマは「アイデンティティ」

思春期から夢が現実的になりなりたいものとなれそうなものがより具体的になってきます。

また、仲間という鏡を見て、自分の内面を気にし容姿にこだわり始めるのもこの時期。

価値観や主義、信条、主張の合う友達とより深い付き合いをするようになり、共通の目標をもって社会的な活動や文化的な活動、芸術的な活動をするのです。活動を始めて、仲間や先生を見て自分を見いだすことが出来たときにアイデンティティがだんだんはっきりしてくるんです。この時期にそれが出来ないと、内面が非常に不安定のまま20代に入っていくことになります。

この時期には、普通に成熟していれば親離れするのが当たり前の時期で、子どもは、価値観の合う友達のところに行く。母親と一緒にいるよりも、友達といることを選ぶんです。

思春期、青年期に、価値観を共有しあう友達が全く見つからなかったら自分というものがわからなくなってしまうんです。この時期に仲間を見つけて時には長時間語り合う。そうやって、自分の価値観をみいだしていくわけです。

それでも、親子のつながりは消えません。親離れと言っても、関係が無くなるわけではない。べたべたすることや口数は減っても、言葉にしない感謝や喜びを分かち合うことで、心が繋がっているのです。

この時期のつまずきからも引きこもりやニートと呼ばれる状態になってしまう。価値観を共有できるような、話が合うような、そういう友達を持っている引きこもりやニートはいません。でも、本当はこの時期だけのつまずきではないんですね、ほとんどの人は、もっと前の段階からつまずいてしまっている。その元をたどれば、乳児期や幼児期の愛着母子関係、友達と遊びあうことは出来たか、そういうステップを、最初から見直すことも必要なんです。

 

 

以上のことから見ても、発達障害、自閉症の側面から見ても、子どもを無理に学校へ行かせることは間違っていることに気づくはずです。

無理に英語や公文に連れていきお勉強させることも時期的に環境的に間違っていることがわかります。自分の子どもは自宅で母子の愛着形成をやり直さなければいけないのか、自閉症の文化に合わせた環境作りが必要なのか、子どもに合わせて振り返らなければならないのです。